東京で社会人をスタートした私は、仕事を舐めていました。
売り上げを上げるのは簡単だったのです。
得意先を単純に出張して回るだけで売り上げは上がっていきます。
一年目で前任者の売り上げを簡単に抜いていました。
好き嫌いは別にして全得意先をきっちりと訪問するのです。
同僚や後輩はどこそこの取引先は苦手だとか、担当者が嫌いだとかいう話しをよくしていましたが、それはあまり関係ないと思っていました。
好き嫌いではなく機械的に営業していきます。
もちろん、得意先と仲よくなって一緒に呑みに行ったり、マージャンをしたりもします。
でも機械的に気が合わない担当者のところも、あまり買ってもらえないところもラウンドするのです。
そうするといつのまにか担当者が変わって売り上げが上がることもあります。
それが当然だと思っていたので、このやり方を愚直に続けていたのです。
そして優秀なセールスマンになっていました。
しかしこの会社を20代で退職するのです。
その結果は散々なものでした。
その最大の原因は縁故での転職ということにあったと思います。
私は転職して、本当に仕事が辛くなりました。
父親のススメで父親の関係のある会社に入ったのです。
しかし、そこでは大変に苦労しました。
父はとある運送会社の系列の会社の役員をしていたのですが、私を東京から家に帰したかったのか私にその運送会社に入れと言ってきました。
私は東京での仕事に飽きていたのでその場でOKを出し、翌日に辞表を会社に提出したのです。
母が末期癌だったことも大きな要因になります。
母の最期は一緒に暮らしたいと思っていました。
しかし、そこでの日々は今思い返しても苦痛に感じます。
手足がしびれる感じがしてしまいます。
私の仕事は父の提案で系列の会社に新事業部を立ち上げいきなりそこの責任者となったのです。
ある程度の仕事の能力はあると思っていたので自信がありました。
なんといっても父が系列会社にいます。
今となって思えばこのような考えで上手くいくわけがないのです。
実は私が入社する直前くらいから父は社長と対立して立場がかなり悪くなっていたようです。
そして結局左遷され飛ばされました。行く先は私のいる新事業部です。
結局親子で責任者をやることになったのです。
それが系列会社の社長には気に入らないようで執拗に私は怒鳴られる毎日でした。
予定を上手く説明できていないなど、どうとでも言えるようなことで毎朝怒鳴られます。
注意ではありません。恫喝に近い怒鳴られかたです。
しかもそれは必ず私の父のいない場面です。
そして、社員たちはまったく私の言う事を聞きません。
驚くほど無視されるのです。
これが会社か?
私は東京時代に働いていたのとはあまりに違う環境にとまどうばかりです。
5ヶ月耐えました。
しかしもう限界でした。
勝手に次から次へと私の部署に仕事を持ってくる件も効率が悪くなるので
私は社長と話しをしているときに「なぜ責任者の私に一言言ってもらえないのですか?」と聞きました。
その時はあまりに怒鳴られたので何を怒られているのかわからなくなるくらいでした。
そして社長が少しトーンダウンした瞬間に「あまりにもひどく言われると仕事に差し支えます。今の状況は通常の会社と思えません。」と言い返してしまいました。
社長は待ってましたとばかりに「じゃ、考えたら?」と言いました。
退職を考えろという意味です。
翌日辞表を出しました。
父に報告するとただ「そうか」とだけ言いました。
2ヶ月後、父も退社を余技なくされました。
親子で無職です。
父はかなり上層部の連中との関係が悪化していたようで、私はそのとばっちりを受けたような、さらに悪化の原因を作ってしまったような感じでした。
しかし私と違って父は行動力があったのでそして親子でまた違う会社に転職することになります。
そこがまたとんでもないことになります。
この続きはまたそのうちに書いてみたいと思います。