前回は死ぬことについて書いたので今回は生きることについて書いてみたいと思いました。
はたして生きること、人生に意味は有るのか?
もし、生きることの意味があるなら、それは誰が決めたのですか?
神様?それともあなた自身ですか?
神様の言うことが正しくて、人生にも意味がしっかりとあるというなら、それはとても楽です。
神様の言うとおりにしておけばいいだけです。
それは神様なのか、神様のフリをした誰かなのかもしれないという疑念は残りますけど。
私は無神論者です。
無宗教な人間です。
それなので、人生の意味ということを信じていません。
もし本当に意味があるなら、ビッグバンから始まった宇宙の起源にも、海から始まった微生物の生命にも意味がなければ辻褄が合わないです。
人間の生命にだけ意味があるなどという考え方はナンセンスです。
だから魂も存在しません。
今まで地球上だけでもどれだけの生命が誕生して、消滅していたったのでしょう。
その全ての生命に意味があったとしても、もう意味ないです。
ダイヤモンドがその辺に山ほど転がっていたら価値がないのと同じです。
生きることに意味があると思うことで死ぬことの虚無感から逃げようとしているだけではないでしょうか。
では生命とは人生とはなんでしょう。
偶然×10000000くらいの産物ではないでしょうか。
偶然、宇宙にビッグバンが起こり、偶然、銀河系に地球が出来て、偶然、その地球は太陽との距離がちょうど生命の存在できる状態が保たれて、偶然、生命が発生し、偶然、それが知性を持つまで進化して、偶然、何億匹の精子の中から私が勝ち残ってこの世に産まれた。
ただそれだけのことです。
私の生命はもの凄い偶然が重なっただけの産物です。
ただ、人間という動物は人生に意味があったと考えたほうが、この世から消滅することを自分で許せる。それだけのことです。
と、私は思っています。
「涼宮ハルヒの憂鬱」のように、この世はどこかの少女の頭の中に存在した空想でしかない。と言う考えの方が私にはしっくりきます。
昔から私の生活は誰かの夢ではないかと思うことがありました。
はっと気がつくと、もう病室で生命維持装置を付けられて、しゃべることも出来ない死ぬ直前の老人になっているというイメージです。
死を待つだけの老人の夢。それが私の人生なのではないかと。
そうであっても何の不思議もないと思っています。
もう、どこかの神様のいうとおりに生きた方が楽なのかもしれません。
貧乏になろうが、破産しようが、神様が許してくれたらそれでOKみたいな考え方の方が悩まなくていいです。
でもなぜか多くの宗教はお金がない人を相手にしてくれないんですよね。
こんなに偉そうなことを言っても、不思議なものでふとお地蔵さんを見つけたりすると手を合わせたりします。
夕方の空の美しさに感動します。
山の荘厳さに心を打たれます。
海を眺めていると癒されます。
もし神様がいるとしたら特定の唯一神ではなくて、八百万の神です。
神道的な考え方が一番納得できます。
山を見たら山に。海を見たら海に。風を感じたら風に、自分が神様を感じたらいいだけです。
神様と言う言葉がよくないですね。
もっと大きなもの。
この偶然でできた世界と自分自身。偶然に感謝しているだけです。