神様、私の追い詰められた経済状態をどうにかしてください。
先ほどトイレ掃除をしながら考えていました。
便座を外して徹底的に綺麗にしました。
掃除しながらトイレの神様という歌を思い出していました。
普段、無神論者と言ってるくせに都合のいいときだけ神頼みをしてます。
確かに掃除をするのは祈る行為に近いのかもしれません。
永平寺のドキュメンタリーを見たことがありますが、掃除が完全に修行になっていました。
掃除を丹念にしているといいことが起こるとよく言いますね。
あと、一つ毎日実戦している神頼みがあります。
どこが、無心論者なんだかわかりません。
私のマンションの廊下に溝があるのですが、そこに毎年この時期になるとカナブンがひっくり返って動けなくなっているのです。
毎日、何匹も溝にはまっています。
決して深い溝ではないのですが、ツルツルとしていて起き上がれなくなって、そのうちに干からびて死んでいきます。
私は毎日、溝でカナブンを見つけると必ず助けて、逃がしてやります。
ひと夏で数え切れないほどのカナブンを助けています。
はじめは単にかわいそうだなと思って助けていました。
しかし、最近は義務のようになっています。
絶対に助けます。荷物が多くて屈めないときは、荷物を部屋に置いてから、助けに戻ってきて逃がしてやります。
子供は「なんでそこまでするの?」という顔をしています。
芥川龍之介の蜘蛛の糸に犍陀多(カンダタ)という悪党が出てきます。
そのカンダタはたった一度だけ虫を助けるという善行をしたことがありました。それをお釈迦様が哀れに思い、地獄のカンダタに天上まで登ることができる蜘蛛の糸を垂らす。そして・・・
日本人なら誰でも知っている話ですね。
で・・・
私はカナブンを助けるたびに内心は神様見てないかなぁと考えてます。
カナブンのためじゃなくて、結局は自分のことしか考えていません。
でもカンダタの何百倍もの虫を助けてますから、そこは大目に見てくれないかなぁと勝手なことを思っています。
私自身はどうでもいいので、子供に何かあったときに神様が思い出してくれるようなことがあれば・・なーんて。
無心論者が聞いて呆れます。
自分のことだけしか考えてない人間に神様が助けの手を差し伸べるはずがないです。
それでも、今さらやめると悪い事が起こるのがいやなので、毎日カナブンを助け続けています。
それにしても、カンダタって名前が凄いですね。
何か意味があるのか、モデルがいるのか知りませんが、犍陀多(カンダタ)という名前は記憶にずっと残っています。
ドラクエにも出てきましたね。カンダタ。
ドラクエやりながら、「おーカンダタだー」と興奮したのを覚えています。